今でこそ競技としてのMMAが確立され、総合格闘技の試合を広く楽しむことができるようになりましたが、一昔前は今ある当たり前の状況がそうではありませんでした。
まず現在のMMAはUFCの勃興時期は、バイオレンスな部分がフォーカスされ、それをプロの興行として試合を組むのはいかがなものかとという論議があり、まずそこからのスタートだったんですよね。
ファンはもちろんファイターたちも懐疑的な部分があったことは否めません。
しかしそこで単発的にではありますが、日本国内でもMMAの大会が開かれることになります。
バーリィトゥドージャパンの94年を皮切りに、翌95年、そしてK-1の大会内でもMMAの試合が組まれました。
特筆すべきはここにリングスから山本宜久選手、Uインターから田村潔司選手が挑んでいったことです。
従来のプロレスラー以上に格闘技色の強い団体に属していた彼ら2人の参戦は非常に興味深いものがありました。
そして奇しくも翌96年に彼らは対戦することとなります。
バーリィトゥドーというMMAを経ての両者の戦い、それまでの日本人対決ではなかったシチュエーションでした。
結果は田村選手が勝利したものの山本選手も先輩である田村選手相手に大健闘を見せました。
このような闘いを経て、日本にもMMAが定着することとなったのです。